前回はドイツを例に、1923年に起こったハイパーインフレの背景を取り上げました。
今回は、為替がどのくらい変化したのか、関連の数値を含め触れてみたい。
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まず、インフレの速度分類というものがあります。
ビールを飲んでいて2杯目を注文したら1杯目より値上がりしていたというのは、まさにハイパーインフレ時の出来事。こうなると、たとえば給料で言えば、月一度もらうより、日払いの方が価値が下がらないうちに、通貨以外のものに置き換えられるので損失は少ない。
経営者からみると月払いの方が実質の賃金が下がり、従業員は雇い易くなる面もある。
以下は、マルクの対ドル為替レート。
(第二次世界大戦資料館 - 素朴な疑問集-第8 ドイツのハイパーインフレについて-より引用。一部追記)
続いて、1923年のパンの価格。
単純に当時の価値と比較できませんので、パン一つでそれなにお腹は満たされると推測して、ハイパーインフレ時の1923年を考えてみます。
"250円"で検索してみると、ちょうど、「すき家と松屋、最安値250円に」の記事。
これに置き換えて一杯の牛丼が、12月にはとんでもない値段になっていたことは想像できると思います。
ドイツのインフレについて調べると、子どもはお札を遊び道具に使っている写真を見かけますが、大人には精神的余裕はなかったでしょう。財産を多く失ったのですから。
その財産を失ったのは、中産階級でした。
クリーピング・インフレ(出典: インフレーション - Wikipedia -インフレの速度分類-)
ゆるやかに進むインフレーション。インフレ率は年数%で、好況期に見られる。経済が健全に成長していると見なされ、望ましい状態と言われることが多い。「マイルド・インフレ」とも呼ばれる。
ギャロッピング・インフレ
早足に進むインフレーション。馬の早足を表す「ギャロップ」から。インフレ率は年数十%。スタグフレーションに伴って生じることがある。
ハイパー・インフレ
猛烈な勢いで進行するインフレーション。月率50%程度から、極端な場合、一日単位や数時間単位で貨幣価値が変わることもある。通貨の信用が失われた状態である。
ビールを飲んでいて2杯目を注文したら1杯目より値上がりしていたというのは、まさにハイパーインフレ時の出来事。こうなると、たとえば給料で言えば、月一度もらうより、日払いの方が価値が下がらないうちに、通貨以外のものに置き換えられるので損失は少ない。
経営者からみると月払いの方が実質の賃金が下がり、従業員は雇い易くなる面もある。
以下は、マルクの対ドル為替レート。
年 月 | 為替(=1ドル)マルク | 備 考 |
1914年7月 | 4.2 | 戦前 |
1919年5月 | 13.5 | 戦後 |
1919年12月 | 46.8 | |
1920年1月 | 64.8 | |
1920年6月 | 39.1 | |
1920年7月 | 39.5 | |
1921年7月 | 76.7 | |
1922年6月 | 320.0 | |
1922年7月 | 493.2 | 戦前の100倍越 |
1923年1月 | 17,972 | ルール占領 |
1923年7月 | 353,412 | |
1923年8月 | 4,620,455 | |
1923年9月 | 98,860,000 | |
1923年10月 | 25,260,280,000 | |
1923年11月 | 4,200,000,000,000 | レンテンマルク発行。戦前の1兆倍 |
続いて、1923年のパンの価格。
年 月 | 価格(マルク) |
1923年1月 | 250 |
1923年2月 | 389 |
1923年3月 | 463 |
1923年4月 | 474 |
1923年5月 | 482 |
1923年6月 | 1,428 |
1923年7月 | 3,465 |
1923年8月 | 69,000 |
1923年9月 | 1,512,000 |
1923年10月 | 1,743,000,000 |
1923年11月 | 201,000,000,000 |
1923年12月 | 399,000,000,000 |
単純に当時の価値と比較できませんので、パン一つでそれなにお腹は満たされると推測して、ハイパーインフレ時の1923年を考えてみます。
"250円"で検索してみると、ちょうど、「すき家と松屋、最安値250円に」の記事。
これに置き換えて一杯の牛丼が、12月にはとんでもない値段になっていたことは想像できると思います。
「牛丼一杯くださーい」
ドイツのインフレについて調べると、子どもはお札を遊び道具に使っている写真を見かけますが、大人には精神的余裕はなかったでしょう。財産を多く失ったのですから。
その財産を失ったのは、中産階級でした。
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